今さら「Air」(ゲーム)について書いてみる。

最終更新:2023.03.21 (初:2017.05.20)

このゲーム(ストーリー)は難しいといわれますが、端的に行ってしまえば、勧善懲悪なストーリーにおける『悪役』に注目したお話、だったと思うのです。そう考えると、割とすべてがすっきりするのです。それをバトルものではなく、ひと夏の思い出という、『ネバーランド』的な雰囲気で描かれていたのが、特徴だったと思うのです。

Airとは。

Airは2000年ごろにKeyから発売されたゲームなのです。もう15年以上前のゲームなので、クラシックゲームですね。いわゆる、女の子と仲良くなることが目的のゲーム(という体裁をとっているゲーム)なのです。

当時はそれはそれはすごかったらしく(何が?)、普段、女の子ゲーはほとんどやらない自分も、かなり経ってからケータイ版をプレイし、テレビアニメ版と映画版を見ていたりするのです。

これ、主題歌がきれいなんですよね。

で、どんなゲーム(お話)だったのか。

誤解を恐れずに一言でいえば、『「悪役」を「解放」する物語』。自分が読み解くポイントはここだったのです。

何が善で何が悪かって話まで追求しだすと、すげーややこしくなるので、それはとりあえずおいておくのです。

とにかく、1000年前に、1000年前のルールの元『悪役』に『されてしまった』女の子を助けるお話である...と考えた時、難解とされたお話がすっと紐解けたのです。

この話の『悪役』が演じる『悪』とはなんなのか?

おそらく、このお話の『悪』とは、単純化すれば、すなわちサキュバス的な発想に基づくものなのです。つまり、

どういう心根で行動しているかは別にして、(おそらく)結果としてはこうなる、という図式になっている感じがするのです。

で、更に、わりとタチが悪いのは、甘い夢ってのが、いわゆる「おとぎ話的ないいお話」になってることなのです。これが例えば、ドラクエの竜王みたいに「世界を闇に染めてやるわ」みたいに、あきらかに悪意を持って行動している娘の話であれば、「そんな奴は倒してしまえ」で済むのでお話としてわ簡単なのですが、そうではないんですよね。

まぁ、(どのような過程を踏むにしろ)最終的には、甘い夢から決別するのが最良、というのが、このゲームにおける『正解』っぽいのです。それをおとぎ話的でファンタジーな雰囲気で包み込んで描いてるってところが、ある意味で極悪であり、さらに話(解釈)をややこしくしていると思うのです、はい。

そう考えると、Airでは、『(一般的なイメージである)最終的に(自分の好みの)女の子とくっつく』という、『女の子ゲー本来の目的』を達すると『ゲームオーバー』になってしまうのです。(実際、女の子と駆け落ちするとハッピーエンドにならないのです。それは、無限ループの『町』の中に囚われてしまうことにすぎないのです。)

そういう点でも、変わったゲームだったのかもしれない、と思うのです。

あるいは、1000年前の(悲劇の)恋から『浮気』せずに、最後まで最愛(だった)娘との恋愛を成就しなさい!というゲームだったと考えば、それはそれで分かりやすいゲームなのかもしれないのです(笑)。

王道的(アニメ)問題解決法だとこうなるはず。

ちなみに、この問題を(アニメ的)解決法に頼ると、こうなる気がするのです。

これで、いわゆるヒーローものの『原因究明→バトル(対峙)→勝利』の図式が成り立つと思うのです。ただ、このお話では、こうすることを選択せず(というより、1000年前の出来事なので選択『できず』)、あえて『負けること』で事態を解決してる感じ、なのです。だから(自分にとっては)「悪の娘の物語」ととらえると分かり易くなる、ということ、なのです。

映画版は、無理やりこの図式に当てはめて描こうとされているが為に、原作とは根本で『かい離』したお話になってしまっている気が、自分にはしました。

中ボスのお姉さんをどうするの?

元々、こういう立ち位置のキャラ(女性)は、ヒーローものでいえば、『大ボスの下に仕えて働く、中ボスのお姉さん』という立ち位置が多い気がするわけで、その多くはわりと悲劇的な結末を迎えるパターンが多かった気もします。

そんな「悪役」的な立場な娘に焦点を絞り、単純に『悪役』として切り捨てるのではなく、どうすれば『救うこと』ができるか?ということにスポットをあてたお話というのは、もしかすると、(当時としては)斬新な視点だったのかもしれないのです(いや、知りませんが。)

少なくとも、悪は倒せばそれでよし、というヒーローアニメにはない発想だったのかもしれないのかなー、とか、そんなことを思ったりしたのでした。

...とするならば、この手の話が、賛否両論真っ二つに別れてしまう原因ってのも、わかってくる気がするのです。そもそも『悪役を救う』というお話自体を成立させること自体が、いろいろな困難を伴うもの、なはず、なのです。

これが例えば、『時代劇』であれば、(様々な事情により)悪いことをしてしまった娘であっても、将軍様の温情一つで許されるかもしれません。そして、どんな時であれ将軍様の言葉は『絶対』というのは、すでに知られている『ルール』であるために、誰もが理解しやすいのです。

Airに関しても、『救う』お話を『成立させる』ためにいろんなギミックが仕込まれているのですが、それは、あくまでも作品そのものの独特のルールでしかなかったりもします。その独特のギミック(ルール)をまず理解できるか?更に、その結果を許容できるか?...という二重の壁があるがゆえに、どうしても評価が分かれてしまうと思うのです。

余談。